『2018.08.17 長電話落書き。』

長電話ではだいたい落書き。女性との話はえてして長くなってしまいがちだ。まぁ母なんですけどね。

しかしおっさんと話するより母といえども女性と話すほうが遥かに楽しい。嫁の母や近所のおばあさんともずっと話できる。

内容は、野菜が高いだの、かぼちゃの皮が硬いだの、食欲がないだの、蜂の巣ができた等々、とりとめないことばかり。どうやら俺はここに来て完全におばはんになってしまったようだな。

 

『2018.08.15 絵日記 いかにも楽しそうなふり。』

これ、成功例なかなか見たことない。芸能人でも失敗多い。
TVでピースとかしてる時点で見るのしんどい。

逆に日々淡々と職務をこなしているパン屋さんとか職人さんお坊さんのブログが見事に楽しそうだったりするので、本当に楽しんでる人ははしゃがないんだと思う。

 

『2018.08.14 絵日記 三陸おのやの魚。』

【魚】
夏バテするので、魚と玉子と納豆と酢くらいは頑張って摂ってる。魚を毎日摂るのは大変なので、なべさん煮干しとか鰹節を削ってたのだが、三陸おのやのレトルトパックの魚を母が大量にくれたのでここんとこ不自由してない、まぁまぁ美味いので喰い過ぎて腹出る怖れあり。

【襟巻き】
それより問題は、冷房だ。冷房なしの生活は考えられないので始終つけているのだが冷えによる首肩の凝りと頭痛がひどくなってきたので、襟巻きが欠かせなくなってきた。このクソ暑い中ネッグウォーマーとかするとは思わなかったがやっぱり首を過度に冷やさないとかなりましだ。熱くても寒くても肩は凝るのだが、温かい夏に冷房で冷やして肩凝ってるって、やっぱりバカみたいだからな。

【どうせ鍛えるなら】
とか偉そうに書いてたが、結果頑張りすぎたようでここ2日ほどぐったりしてました。体力無いわ。運動も食事も適度なところでバランス取らないと元の木阿弥やな。

 

『2018.08.12 絵日記 どうせ鍛えるなら整理整頓。』

明らかな運動不足と食い過ぎで腹が出てきたので腹筋とかやったほうがいいような気がするけど、よく考えたらせっかくのエネルギーを生産性のないことに使うのはもったいない、というわけで今日はたまってる雑誌やらいらん紙類とかを紐で縛る作業をした。やってみるとこれがもう汗だくで腹筋どころか結構な全身運動になったのでこの勢いを借りて毎日何かしら気になってたところの整理整頓を始めようと思う。(草抜きがいいのだがこの時期は諦めた)

佐川急便とか宅急便の人って仕事そのものがジムに行くよりはるかに運動量が多く腹も凹んで筋肉つくのにがっぽり給料がもらえるという、俺みたいな老人には無理だけど考えようによっては素晴らしい職業かもしれない。とにかく食べた分のエネルギーをお金払って消費しに行くのはどう考えても非効率なので何とか生産性のある作業に使いたいものだ。

かく言う俺も水泳には行ってるんだけど、これは水が恋しいからで、そもそもちょっと泳いだくらいでは腹は浮袋のまま変わらない。

 

『蝋燭入れオブジェのフタ補修。』

前に作った蝋燭入れのオブジェのフタが欠けてしまったので補修することにした。

前の記事→『オブジェ3点、彩色して完成。』

金継ぎみたいにしようかなと思ったけど、かけらも見つからないのでコブでいいやとフォルモではなく普通の紙粘土で盛り上げる。普通の紙粘土は乾燥しても指で擦るだけで滑らかになる、つまりもろい。
あまりにもろいのでアクリルのメディウム塗ってから彩色。カツラブルーとバーントアンバーを混ぜると渋い感じになる。
やっぱり金が欲しかったのでメディウムにポスカラの金混ぜて点々付ける。
完成~。金の点々と真鍮のポッチが連動していい感じ。トイレットペーパーの芯って(変な意味じゃなくて)ちょうどいい太さと長さで型にしやすいのだけど、一度トイレットペーパーの芯に見えてしまうとそれ以外に見えないという欠点あるな。

 

『2018.08.10 絵日記 『ある島の可能性』(ミシェル・ウェルベック)。』

俺の読書量は驚くほど少ないのだけど、本の山の中で暮らしてる兄に勧められて読んだ一冊が秀逸だった。『ある島の可能性』(ミシェル・ウェルベック)。

「マンコがあるということ自体がすでに天の恵みなのだ。」
「どんな人生もその晩年は多かれ少なかれ「あと片付け」のようなものだ。」
「とまあこんなふうにして僕は新たな泥沼へと足をつっこんだ。」
「若い肉体はこの世界が生み出してきたものの中で唯一魅力的な存在であり、それを利用できるのは若者だけだ。」

不老不死を扱ったSFなんだけど、初老の俺にはいちいち突き刺さる言葉が並んでいる。こんな箴言だらけの(しかも平易な)文章で小説を仕上げるのにはびっくりだが、全体の構成力もテーマも唸るものがあって暫く影響から抜けれそうにない。
人間とはホトホト救いがたい生物ですな。

 

『2018.08.08 絵日記 この世の慰み。』

と書くと大げさだが、結局男にとって一番の慰みは「女の人」だと思う。セックス云々ではなく、話をしたり、見てるだけでもいい。彼女たちがこの世にいてくれるだけで大いなる慰みになる。美人ブスもあまり関係なく、おばあさんですら慰みになる時がある。

女の人にとっては何かな?男ではないような気もする、食い物かな?

 

『2018.08.06 絵日記 本当に大事な事。』

本当に大事な事は、ダイエットでもウォーキングでも筋トレでも読書でも英会話でも炊事でも掃除でも洗濯でも仕事でも資産運用でもアンチエイジングでも婚活でも、ましてや確定申告でもない。

だいたい我々が日々忙殺されている事に大した意味などない。5日後に死ぬと分かってて上記のことをする人は一人もいないのだ。

本当に大事な事は、今好きな事をする事だ。

 

 

『2018.08.03 絵日記 本当の表情。』

『半分、青い。』の永野芽郁ちゃんは泣く演技が多いのだが、旦那に別れるって言われて泣きながら文句言うシーンで、あまりに事に疲れてしまって放心してる顔の右目だけが全然この世を見ていない眼差しになってて、この人は片目だけの演技ができるのかと驚いたものだが、泣いた後や疲れ切った時の放心状態の人は自我が消えて「無」の中にいるから、その表情から感情が読み取れなくなってこの世から消えるのだ。

篠山紀信が明星の表紙を撮っていた頃、そのあまりに人工的で作られたアイドルのニコパチ笑顔にゲンナリしたものだが、資本主義表層文化の権化として歯茎を見せて笑わされていた70年代80年代のアイドル達の作り笑いは今やInstagramに受け継がれて、日々見たくもない素人女の加工した引きつり笑顔が世界中に放出されている。

もう本物の人の表情というのは、一部の秀逸な役者、この永野芽郁や『万引き家族』の安藤サクラらの演技の中でしか見られなくなってしまったのかもしれないな。