『2018.10.14 絵日記 枠が無いと落ち着かない。』

これは漫画家だからなのか、枠線がないとどうも落ち着かない。枠でも柵でも檻でもいいがとにかくどこかで区切ってくれないとお尻がムズムズするのだ。

だから大きな白いキャンバスを前にすると一回り小さく枠線を引きたくなる。でもそれなら一回り小さいキャンバスに描けばいいじゃないかと言われて小さくしてみる。でもまだ落ち着かないからって事でまた一回り小さくする。でもまだ大きくて結果キャンバスがどんどん小さくなっていって、今はもうなんとか4号くらいなら枠線引かなくても耐えられるかなというサイズ。

ホントははがきとかキャラメルの箱とか、つまりマンガのコマくらいの大きさが好きなのだ。

自分にはマンガのコマ割りというシステムはとても性に合っていると思う。小さいコマの中で最大限効果的な構図を考えて端っこまでギチギチに描けるので、コマに助けられて自由度が増して楽い。

同じ理由で断ち切りが嫌い。コマが一部でも外れてしまったらとたんに不機嫌になる。それに断ち切りの場合どこまで印刷されるかはっきりしないので際限なく外側まで描かねばならないような気になり、しかもその殆どが無駄になるんだろうなと思うととても真剣に描く気がおこらないのだ。

「私は自由に生きていく。」「私の前には無限の可能性が広がっている。」とかよく聞くが、それはまだ何も始めてなくて枠線すら引けてない場合かもしれない。

人生一つ選択したら(例えば医者になると決めて医大に行くという枠線を引いたら)無限の可能性はほぼ一つの可能性に縮まってしまって他のことなどなかなか手が回らない。せいぜい趣味くらいで無限どころの話ではなくなる。

そんな風に自分の可能性を狭めたくないって人はそれでもいいが、まず自分なりの枠線を引かないと人生何も始まらないような気がする。

575の文字制限のある俳句と同じで、制約があった方が遥かに楽しいし。

 

『2018.10.12 絵日記 文化とは乾燥の制御そのもの(大袈裟)だ。』

新品よりも使い古して味が出てる枯れた感じのものが好きで骨頭屋に行くと我が家に帰ってきたような感じがして古びたもの独特の匂いに安堵しつつ物色する。もちろん骨董の価値などわからないのでできるだけ安くて感覚に合うものをちょっと買うだけだがこの前は撒き菱(まきびし 忍者が逃げる時道に撒くやつ)30個500円で買った。作り物じゃなく本物のひしの実を乾燥させたもので、使い道はまったくないが色といい形といいとても魅力的だった。

このように物を乾燥させるというのは、焼き物みたいな土であれ木工品の木であれ、物に永遠の時を与える天才の加工技術だと思う。人は殆どの物を乾燥させて生活を豊かたらしめている。湿った土や生木では文化は作れない。

例えばバイオリン制作における工程では、木の乾燥から接着剤、ニスの乾燥に至るまでほぼ全て乾燥技術の賜物であり、油絵の具や漆工芸に置いても酸化という特殊な乾燥の知恵なくしては成しえない。

昨日だったかイタチが撥ねられて道に転がってた。一瞬前までピチピチの若いやつだったのだろう、九相図で言えばまだ脹相にも達してない死にかけのホヤホヤで脂分と水分が結構飛び散ってえらい惨状だった。生き物とは、生きてる時は瑞々しい肌に覆われて美しいものだが、よくよく考えれば袋に入った水と油なので、破れたら悲惨なことになる。

そこでここでも乾燥技術。グチョグチョしたり腐ったりする生き物も乾燥させれば価値あるものに変化する。それどころか生物より価値が上がったりする。日干し魚や干し椎茸は味や栄養価が良くなるし干し肉は美味しい上に保存が効く。人間もミイラにすれば腐らず美しいまま保存できるというわけだ。かくも乾燥とは偉大な発見で、文化とは乾燥の制御そのものかもしれない。

しかしながら、唯一これ乾燥してほしくない存在がある。
もちろん女性だ。女の人だけは古くて枯れればいいという骨董品的価値は低い。

永遠に乾燥知らずの新品同様、プリプリでいてほすい(保水)ものです。

 

『2018.10.06 絵日記 「人は失ったものを取り戻そうとして、更に失う。」』

映画『ノーカントリー』の中の台詞。これに出てるハビエル・バルデムの髪型は一生忘れられないが、この台詞も忘れられない。恋愛でも株でも仕事でもスパッと損切りしてまた0から始めないとダラダラと失い続けることになるんだろう。

でも諦めるのが早すぎて物にならないこともある。例えば16Pのマンガを4Pで諦めてまた0から描き始めるなんてことを繰り返していると、永遠に漫画家になれない。糞でも何でも完成させてから次に行かないと上手くならないのだ。

だから4Pあたりで挫折することをずっと繰り返してる人は、失った時間を更に失わないようにそろそろ進路変更すべきなのかもしれない。しかし実際は、ここで見切りをつけて損切りするべきか、もうちょっと粘って頑張るべきなのか、判断できる明確な基準はない。

そういう意味では人生は自分の勘に頼るしかない、まぁ博打だな。

 

『2018.10.03 絵日記 雑貨。』

おばちゃんなので、雑貨好き。藤田嗣治や熊谷守一なんかもこちょこちょ雑貨集めたり作ったりするのが好きだったようだ。コレクターというのではなくて自分の好みのものをちょこちょこと。もの事態に金銭的価値がなくても一向構わない。自分が気分良くなるもので生活をちょっと彩る。

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今日買ったのはこれ。花屋さんにあった何かの実をくり抜いたような入れ物。天井から吊るした。何を入れようかなとずっと考えてるのもの楽しい。650円位。

 

『2018.10.01 絵日記 女性のお肉。』

女性というのは男から見たら、お肉というすばらしい宝物を身に着けて生きているわけで時々不思議な感じがする。

個々のお肉は物を掴んだり運んだり蹴ったり歩いたりという機能を果たすために存在していてその点は男も同じことなのに女性だけその機能を超えてお肉そのものに価値が与えられている。それを触らせたり提供したりすると男は喜んでお金を払う。その白さとか艶とか柔らかさとかキメ細かさとか男には無い特質に金に見合うだけの価値を感じるからだ。

だから逆に冬のガソリンスタンドとかで働いて手荒れしてる女性を見るとなにか違うだろうと言いたくなる。こんなに価値があるものを普通の労働で使って痛めてしまうのは勿体無いと思ってしまうのだ。大事にしてても日々確実に劣化していくというのにあえてゾンザイに扱うとは一体どうしたわけだ。

若いお肉をどうぞお大事になすってください。

 

『2018.09.30 絵日記 台風24号被害無し。』

事務所泊まってドキドキしてたけど、被害はなかった。この辺では21号ほどではなかったようだ。それでも各地に被害は出てるからどんなに準備してても天災だけはあなどれない。25号も発生したので油断は禁物です。こういう時は何も考えない平和な絵が描きたくなるね。

 

『2018.09.28 また来る大型台風の前に。』

秋のプチツー。
河内長野から橋本に抜けて、
和歌山の紀の川に。 空スコーン抜けて気持ちいい。
24号線はつまらないので、1本川沿いを走る。 暑くもなく寒くもなく絶好のツーリング日和。こんなのは年に数回しかないわ。
こんな道はせいぜい50キロ位でトコトコ行くのがいい。ビッグバイクやアメリカンではあんまり楽しめない道こそセローの真骨頂。この先めっちゃ細かった。
一時生産中止だったセロー、今年新型が出ましたね。排ガス規制に対応しつつ出力アップして20psになったようです、すげぇ。俺はしばらくはこいつです。
いい温泉を見つけたので入る。八風温泉、源泉かけ流しの湯がいい気持ちでした。古民家の古材を再利用した建物も雰囲気あって成功してる。
和泉山脈の地殻変動の後を眺めつつ犬鳴き越え。
前にこの道を通った時は、食中毒で着くなり病院点滴でしたな、今日は健康。
台風に備えてバイクを事務所に上げる。これもセローだから簡単にできるがハーレーではきついな。
キャップからガソリンが気化しないようにサランラップ巻きして台風準備完了。

 

『2018.09.26 絵日記 品のある人は気取らない。』

声が大きくない 歩き方がきれい 頬張って食べない 物を投げない 叩かない やたら肌を見せない 靴をキチンを揃える 食べたまま喋らない 満腹まで食わない 語彙が多い 口紅が赤すぎない

こんな人が品があるといいますが、これらすべてをクリアしてても気取ってる人には全く品を感じない。高級住宅街の奥様とかによくある、自分がワンランク上だという傲慢が滲み出してるタイプの人だ。行きつけのレストランのシェフ自慢とか、休みに行った高級リゾート自慢とか、旦那の出世自慢とか、セレブ自慢は下品の極みだと思う。ちょっと高い昼のランチに行くと必ずこの集団に遭遇するの勘弁してほしい。

本当の品とは、まずもって謙虚さからざますわよ。

 

『2018.09.24 絵日記 人生とは自分が好きなものを日々見つけていく作業である。』

と、思うわけです。

よく女の子が「私〇〇大好き~」とかカワイコぶってるけど、ほとんどの場合心から好きだから言ってるわけではなくて「かわいい~って言ってる私かわいいでしょ?」とか「これ大好きな私おしゃれでしょ?」とか、自分がどう見えるか計算した上での「好き」であって、別にそれそのものは全然好きも何でも無い場合が多い。

そんな偽りの「好き」ではなくて、本当に無人島に独りでいても好きだと言える物を見つける、それが貝殻でもコルク栓でも石ころでも流木でもいいから、ああ本当にこれかわいいと思うものを日々集めていく事。実際にコレクションしろというのではなく意識するだけでいい。最近はスマホのカメラ機能がいいので写真を撮っておくのもいいし、俺はPinterestを使ってる。

これを続けていると、ふとした時に「私はルイビトンのバックより、トートバックの方が好きだった。」と気付くことがある。人にひけらかすものではなくて自分が幸せになるもの見つけること、これが幸福な人生の第一歩になる。

一度これに気がつけば、値段とかブランドとか評価とか関係なく「自分基準」で本当に好きな物を選択ができるようになって、その対象は物に限らず本や音楽や芸術や思想や仕事とあらゆるものに敷衍されてついには人生を覆い尽くす事になる。これが幸福な人生そのものになると思う。

こんな事当たり前だと言うなかれ。「自分は本当は何が好きなのか。」を人は意外と突き詰めて追求しない。流行に流されたり、健康にいいとそそのかされたり、好きな芸能人が着てるからとか言った理由で好きな気になってるだけで、それに見栄で買ったものを加えたら、今狭い家を占領している山積みの不要なモノ達になる。

最近の断捨離ブームは、いかに自分が好きでもなかった物を買い込んで「本当に好きなもの」を探求していなかったかを物語っている。実は好きなものを特定するのは時間もかかるしちゃんと吟味せねばならないし結構手間がかかる。それが面倒だからついいい加減でほったらかしてしまうというわけだ。

好きなものに囲まれて、好きな仕事や好きな趣味に熱中して幸福でないわけがないので、いい人生を送るには、本当に自分が好きなものを小さい物から見つけるのが一番の近道、あれこれ探求する日々で、最近はダンボールが好きです。