『2019.11.29 絵日記 人魚を治療する牛。』

誰かが誰かを治療してあげてる行為は美しいと思う。本来治療とはなんとか苦しみから開放してやりたいという優しさが基本にあるはず、と思ってWikiで調べたら実はそうではないらしい。

治療(ちりょう)とは、病気やけがを治すこと。病気を治癒させたり、症状を軽快にさせるための行為のことである。しかし、日本の法律上は「医師が患者の症状に対して行う行為」のみを指して治療といい、医師以外の施術者が患者の症状を快癒させても「治療した」とは認められない。つまり「医師による行為」が治療であり、「患者を治したから治療という訳ではない」という日本特有の事情がある(手当てをするという本来の一般用語としての「治療」の語の使用が実質制限されている)。Wikipedia

は?
いくら医師がやろうとも、死にかけの老人を何度も蘇生させたり、点滴や胃ろうで無理やり生かす行為は断じて治療とは言えないと思うが、法律上はあれも治療なのだろうか。どう見てもビジネスにしか見えないが。
医師免許がなくても、医学知識がなくても、擦ってあげるだけで楽になるならそれこそが治療だと思うけどな。

 

『2019.11.25 方丈記。』

大火事、台風、遷都、飢饉、流行り病、大地震と、鎌倉時代の平安京は平安どころかコテンパンにやられてる。そんな中で出世から外れた鴨長明さんが世の無常を感じてど田舎に遁世し狭い方丈に住みこの世の嘆きと諦観を綴った『方丈記』。本は数多(あまた)あれども結局はこの本が一番落ち着く。
この本に帰ってきたら、虚飾と幻の上に立っている今の世の危うさに改めて気がついて、いつでもすべてを失う可能性があるから執着しすぎないようにと背筋がシャンとする。 早晩大地震など天災は必ずやってくる。大事な人との別れも必ず来る。その時多分この本に大いに救われることだろう。鴨長明という人も幾多の問題に即答せずそのまま抱えて我慢した人だと思う。かと言ってずっと悲嘆に暮れているかというと全然そんなことはない。昼寝して音楽に親しみ子供と遊んできれいな景色見て喜んでいる。本当の人生の楽しみを知っていたのだ。 俺も58歳、気がつけば彼が『方丈記』を書いた歳になったことだなぁ。