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『蟷螂の斧。』

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【蟷螂の斧】力のない者が、自分の実力もかえりみずに強い者に立ち向かうことのたとえ。

LEDに立ち向かうカマキリに勝算はあるのか?
しかし観察してると、勝負を挑んでいるというより来世に思いを馳せているように見えた。
「もうちょっとましなものに転生したいけど、このカマキリ現世で
どうやって徳を積めというのか・・・。」まぁ、その疑問は無理もないな。

 

 

『低気圧による不調。』

台風の低気圧に押し潰されそうになる、様な気がする。低気圧なのだから押し潰されるのはおかしいかもしれないが、なんとかなく重苦しいし頭も痛くなるのが常だ。

で、調べてみると。こういうの気象病というらしい。
人間は通常15トンの気圧を体の内部から押し返して生きているのだが、低気圧だと微妙にそのバランスが崩れるてしまう。そして脳の血管が広がったり痛みの物質が出てきたりといろいろ不調に陥るらしい。そうかじゃあウンコでも気張って血圧上げるか。

分かってしまうとなんとなく諦めつくから不思議。

 

『物を元に戻す。』

いったいどうしてこんな簡単なことができないのか、時々嫌になるが、物を元に戻せない。食ったものを炊事場に持って行かない、出した本はそのまま積み重なる、汚れた洗濯物は洗濯機に層をなす。一つ一つは取るに足らないことだが、これが破綻の始まりだ。

はじめは小さなこの怠惰が、まるでダムに開いた小さな穴のように次第次第に大きくなりスペースと精神を侵食し始め、いずれは生活全体の破綻をきたしてしまう。

だから何か最近調子が出ない、体力も気力も衰えを感じる、生活が荒んできた、と思ったらまず物を元にあった場所に戻す事から始めるのだ。

 

 

『力を抜いて丁寧に生きる。』

人間生きてるだけで、肩とか首とかおもっくそ力入ってる。特に急ぎの仕事やストレスかかる用事をしてると無意識に力んでしまって、あっという間にカチンコチンになってしまう。

ところが最近手首が悪くて力を入れると痛いので、仕事はもちろん、タオル絞ったり、瓶の蓋開けたり、プルトップ開けたり、カバン持ったり、車のドア閉めたりするのになるだけ力を入れないように注意している。手首に力が入らないと首にも肩にも力が入らないので自然力が抜けていく。これを続けていると、生きていくのにそれほど力は必要ないなと改めて気付く。

多分普段は必要な力の180%くらいで力んで生きている。リターンキーをパシーンとやったり、商品叩きつけたり、ドアをバーン開けたり、いっぺんに物をたくさん持とうとしたり、意識してないとついつい力が入り過ぎてしまうのだ。
しかしこんな事はすべて無駄で、パンパンうるさいし、物は壊れるし、身体も痛むし、周りにもはた迷惑なだけだ。力は全く必要最低限でいい。
ネジを回す時など誰もが意味なく大急ぎだが、ゆっくり回せば実はそれほど力は必要ない。

力を入れないで生きてると動きがゆっくりになって物の扱いが丁寧になる。すると段々気分も落ち着いてきてまぁ何と言うか平和になってくる。特に車の運転は無茶しなくなるからいいね。

 

『小説と絵、どっちが楽か?』

兄が小説書いてるので時々話題になる。例えば文字なら「空から見る大阪の街はジオラマの様だ。」で済むところを、絵で描くとなると大阪中のビルをジオラマの様に克明に描かねばならないから大変な労力を要する。だから小説の方がはるかに楽だと兄は言う。

しかし逆に「美人」を表現するのは絵の方が楽かもしれない。「美人」を言うのに単に「彼女は美人だ。」では何も伝わらないからだ。ちなみに文才のない俺が美人を表現すると「10人中9人は股間がビンビンになりそうなとびっきりのいい女」とかになって身も蓋もない。美人の絵を描いた方が何百倍も楽ちんだ。

ちなみに天才泉鏡花先生にかかると、美人とは
「その年紀(としごろ)は二十三、四、姿はしいて満開の花の色を洗いて、清楚たる葉桜の緑浅し。色白く、鼻筋通り、眉に力みありて、眼色(めざし)にいくぶんのすごみを帯び、見るだに涼しき美人なり。」とかになる。

ここまでくると、絵で見るより文字で読んだ方が想像力が刺激されて美人の格が上がるというものだ。小説が楽、絵が楽とか言ってる時点でレベル低すぎる。