『2018.10.12 絵日記 文化とは乾燥の制御そのもの(大袈裟)だ。』

新品よりも使い古して味が出てる枯れた感じのものが好きで骨頭屋に行くと我が家に帰ってきたような感じがして古びたもの独特の匂いに安堵しつつ物色する。もちろん骨董の価値などわからないのでできるだけ安くて感覚に合うものをちょっと買うだけだがこの前は撒き菱(まきびし 忍者が逃げる時道に撒くやつ)30個500円で買った。作り物じゃなく本物のひしの実を乾燥させたもので、使い道はまったくないが色といい形といいとても魅力的だった。

このように物を乾燥させるというのは、焼き物みたいな土であれ木工品の木であれ、物に永遠の時を与える天才の加工技術だと思う。人は殆どの物を乾燥させて生活を豊かたらしめている。湿った土や生木では文化は作れない。

例えばバイオリン制作における工程では、木の乾燥から接着剤、ニスの乾燥に至るまでほぼ全て乾燥技術の賜物であり、油絵の具や漆工芸に置いても酸化という特殊な乾燥の知恵なくしては成しえない。

昨日だったかイタチが撥ねられて道に転がってた。一瞬前までピチピチの若いやつだったのだろう、九相図で言えばまだ脹相にも達してない死にかけのホヤホヤで脂分と水分が結構飛び散ってえらい惨状だった。生き物とは、生きてる時は瑞々しい肌に覆われて美しいものだが、よくよく考えれば袋に入った水と油なので、破れたら悲惨なことになる。

そこでここでも乾燥技術。グチョグチョしたり腐ったりする生き物も乾燥させれば価値あるものに変化する。それどころか生物より価値が上がったりする。日干し魚や干し椎茸は味や栄養価が良くなるし干し肉は美味しい上に保存が効く。人間もミイラにすれば腐らず美しいまま保存できるというわけだ。かくも乾燥とは偉大な発見で、文化とは乾燥の制御そのものかもしれない。

しかしながら、唯一これ乾燥してほしくない存在がある。
もちろん女性だ。女の人だけは古くて枯れればいいという骨董品的価値は低い。

永遠に乾燥知らずの新品同様、プリプリでいてほすい(保水)ものです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください