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『2019.11.08 依存しない美。』

貧しいインドやアフリカの少女の映像を見てると、かわいそうだなと思う反面とても美しいなと思う。顔貌が美しい以前になにかこう人として美しい。これは何かなと考えてみると、自分以外の価値に寄りかかっていないからだと気がついた。着てるものも実にお粗末だし食べてるものもほぼ粉で、もちろん化粧品もなければ美顔器もない、ただ水とわずかな石鹸で最低限の清潔を保っているだけなのだが、だからこそ自分だけの美しさでそこにいる。それが、ブランド品の服と鞄とアクセサリーに身を固めてグルメを食すセレブ気取りの女よりはるかに神々しい美しさがあるのは皮肉な話だ。

おしゃれそのものはアフリカの原住民でも盛んにやってるし別段悪いことでもなんでもなく、むしろ推奨されていいと思うが、彼らのファッションや化粧はその土地で生まれた彼らが一番美しく見えるように工夫されたもので、実際それは非常に美しい。素材はすべてそこらに生えている草とか土にもかかわらずだ。

それに比べて似合ってようが似合ってまいがとにかくブランド品という価値に全身ぶら下がって値段や希少価値を自慢する女達の承認欲求からは何も響いてこない。その上にご丁寧にSNOWで加工してこの世に存在しない嘘の自分をアップしてご満悦なのである、なによりその精神が美しくない。

わかりやすく言えば「E.YAZAWA」のステッカーを貼ってイキってる車と同じだ。あれを見てかっこいいと思う奴はいないと思う。おれも永ちゃんファンだがあれだけはできないのは、「自分は永ちゃんにぶら下がって自分をかっこよく見せようとしてますが自分自身にはひとつも自慢できるものがありません。」と言ってるように見えるからだ。そしてそのように見られていることにまるで気付かず永ちゃんファンの自分最高にカッコいいと思いこんでる恥ずかしさ。高級ホテルでグルメくってるSNOW加工女もまるで同じで、すがるものがそれしかないんだろうなぁと実に哀れを覚えるのだ。

アフリカの大地にただ立っている少女が自身の身体の中から美を発散している様に見えるのは、食べる時も承認欲求を満足させるために食べてるのではなくただ生きるために食べている、着るもの住むところも、もまずは身を守るためが第一で見栄やつまらない自己主張のためではない、すべては生活の必然の上に立っているからだ。それが何とも美しいのである。

 

『2019.10.26 絵日記ノート半分きました。』

このノート、紙質は文句なく黄色っぽい紙色も気に入ってる。
100Pで1,000円くらいするぞ。

自分は比較的ノートを使い切る方だと思うけど、それでも何年もかかったり用途が変化したりする。このノートは頻度も一貫性もかなり優秀。
ブルゾンちえみほどではないけど自分もかなりノート好き。

中のイラストはみんな同じように見えるかもしれないけど、数描くと自分の絵の傾向が何方向かに集約されてくるのが分かる。本画にしやすい絵とか漫画っぽい絵とか説明に向いた絵とか。日を開けずに描くといろいろ発見あって楽しい。

 

『2019.10.22 チラシ広告の弔い。』

もちろん新聞などとっていないのだが、定期的にチラシ広告が入る。全然興味ないので即ゴミになるのだが、ふと哀れを催す。せめて描いてやったら弔いになるかなと思ったけど、すぐに飽きた。やっぱり興味ないものはつまらんな。

本日「即位礼正殿の儀」
関係者各位ご苦労さんだが、これもあんまり興味ない。

『2019.10.14 ショートの巻毛。』

女の子は茶系でショートの柔らかい巻毛がいい。ウクライナの人がまるで猫のような細い金髪で驚いたことがある。金髪が白い肌と良く合ってキラキラしてた。

昔は日本人の太い黒髪のロングも好きだったけどなんとなく重たくて最近はそそらない。ショートならいいかと言うと野球部の兄ちゃんとか連想してしまって萎えてしまう。こっちが老人になってきたせいで、淡く柔らかいものが愛おしいのである。

そんな自分の頭は毛量も激減した上に元々くせっ毛だったのだがもう曲がる力もなくなってきてナヨナヨした陰毛のような白髪がしがみついてるだけ。