タグ別アーカイブ: 自由

『大学ノート日記平成29年8月26日 属さない自由。』

まあ人間どこかに属さないと生きていけないわけで、生活のために会社に属するとかは抵抗ないんだが、生き方そのものをどこかの組織にゆだねてしまうのはせっかく個人個人自由があるのに実に勿体ないと思う。相当つらい事があった人ならまぁ仕方ないのかもしれないが俺は御免こうむる。組織からの賞賛もいらんし承認欲求もないし葬式も戒名もいらんしな。

逆に孤高の存在には強く憧れる。

『絵における1/fゆらぎ。』

THE SEIJI Pen-and-ink drawing Bar

1/fゆらぎ

人の心拍の間隔や、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音、目の動き方、木漏れ日、物性的には金属の抵抗、ネットワーク情報流、蛍の光り方

ヒーリング・ミュージックの効能の説明にも使われる言葉であり、規則正しい音とランダムで規則性がない音との中間の音で、人に快適感やヒーリング効果を与えると主張される。(Wiki)

てこれ、絵にもあてはまると思う。微妙な心地よい線のゆらぎとかって絶対にあるし、CG漫画がどうも面白くないのはここじゃないのかな。3Dアニメの場合は動きや音楽で補ってるんであって、やっぱり静止画見たらつまらないもんな。というわけでそんな感じで描けたらいいな。

 

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『絵解きの弊害。』

THE SEIJI pencil Sannshinnzan具象絵画には具体的な物が描かれてて、例えば骸骨は死の象徴、楽器は女性のメタファーなど、描かれた物に意味がある事が多い。これは教会や寺院が字の読めない庶民達への布教や教育のために描かせた経緯があって、絵を見たらどんなシーンでどんな内容なのか分る仕組みになっていたからだ。今この「絵解き」がちょっとしたブームだが、ここには弊害も多い。すべての絵画に文学的な意味や絵解きできる整合性があると勘違いされる恐れがあるからだ。絵画は「文字に翻訳出来て頭で理解できるもの」という概念は全然間違っているし、こう思い込んでしまっては抽象画やダダイズムなどは全く受け付けない事になってしまう。そして何よりの弊害は、描く方がこう思い込んでしまいって、何か意味のあるものを描かねばならないという強迫観念を持ってしまう事だ。絵画は文学よりむしろ音楽に近いから、浮かんだまま自由にリズミカルに描けばいいと思います。

 

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『サザエさん症候群は無いけど。』

THE SEIJI pencil Lightサザエさん症候群』 これ、学生の時とか会社員の時あったなぁ。サザエさん観ながら暗澹たる気持ちに襲われる奴な。シルバーウィークとかあったら、気持ちの再起動さぞや大変であろうと、カレンダー通りに働いておられる方お察し申し上げます。

俺は自由業になってからは、曜日によって気分が落ち込む事は全くなくなったけど、そんな事より盆も正月もGWも全然関係なくなって、あるのは『締切』だけになったわいや。
編集に一方的に締切を決められてこちらには全然自由がないのが自由業の本質である。

まぁでもそれほど嫌じゃないというか、締め切りでもない事には永遠に寝てるだろうと思われるので、逆に有難かったりするほどです。感謝。

 

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『有名になるリスク』

THE SEIJI pencil Price of fame
佐野さんじゃないけど有名になってマスコミに取り上げられるって、仕事的にいい面もあるんだろうけどリスクの方が遥かに大きいな。名前が売れるとまぁ味方より敵が増えるんだから、よほどの清廉潔白な人生を送っていないとまず過去を叩かれる。人間脛に傷を持ってない人の方が全然少ないんだから、このネット検索全盛時代有名になるのはかなりのリスクを覚悟しないといけない。

俺などはこの先どんな偉業をなしたとしても「エロ漫画家だったくせに」って速効ネットで叩かれるだろうし、自分でも忘れてるいろいろ恥ずかしい事なんかも晒されるに違いないから、少なくとも「道徳的にみて素晴らしい人間」として有名になってはいけない。せいぜい「変態老人」くらいが許される限界だろう。

若い頃は何か素晴らしい仕事をして認められて有名になりたいと頑張ったりしたものだが、50も過ぎてしまうとそんな偉業をなす気も有名になる気も全く失せてしまった。色々見てると有名人に幸福な人がいるとは思えなくなってくるのだ。それどころかなんて窮屈でつまらない人生だと同情を禁じ得ない。どこへ行っても面が割れてしまってて立ち小便もできないし、女子ならちょっと写真写りが悪かっただけで「超絶劣化」だし、少し休憩してたら「消えた」って言われる。

結局有名になるという事は、嫉妬つまりは妬み嫉みのターゲットになるという事なので相当の覚悟がないと精神的に持たない。パパラッチを警戒して自意識過剰になって毎日部屋にこもってエゴサーチに明け暮れるなんて、有名の代償としては不幸過ぎるではないか。

というわけで人生無名の黒子が一番、目立たずこっそり生きていきましょうね。
コソコソ悪さできない人生などつまらんですからな、ふぉふぉふぉ。

 

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『枠の中でこその自由』

THE SEIJI pencil Freedom

京都芸大の校風は「自由に好きな事をやれ」だった。
入るまでは石膏デッサンやらたわしやら
つまらぬものをシコシコ描いていたので
これからは大いに好きなことができると喜んだのだが
あっという間に行き詰った。
「自由に何でもしていいよ」と言われたら
とたんに何をしていいのか分からなくなってしまったのだ。
地面に穴を掘りだしたり、アクリル板に油絵具を挟んだり
学友はいろいろやっていたが俺はどうもダメだった。
自由が不自由で仕方なかったのだ。

そこでやっぱりキャンバスを張った。
つまり枠を作って自由を制限したのだ。
次に画材を油絵具に限定して、描く内容も具象画、特に人物画に決めた。
すると段々と漠然としたイメージを形にできるようになってきた。
その枠の中で徐々に自由が広がっていった。
まぁつまり楽しくなってきたわけだ。

自分は枠が無いと自由になれないのだと知った。
まぁ俳句もそうだし漫画もそうだ。
結局コマという枠だらけの漫画という形式が、自分には一番合っていた。

枠があってこその自由だと思うし、これ人生すべてに敷衍(ふえん)できると思う。
主婦やパン屋さん花屋さん漁師さん坊主さんらも
環境に束縛されて一見不自由そうだけど、その実は
めちゃくちゃ自由なんじゃないかと俺は思っている。

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